人は見ている方向に進む

 

 あなたは3年後、5年後、どうなっていたいか考えたことありますか?

目標を持っていますか?

 

 これの真髄は逆算です。ある目標、到達地点を決めたなら、そこに行くためには、いつまでに何をしていなければならないのか。

では、今は何をすべきなのか。

 

 

 大切な事ですけど自己啓発みたいですね。

ではもっと単純に。

 

 人は見ている方向に進む。

ポジティブ、ネガティブ。考えている方向に寄っていってしまうのです。

こういったブログだって、ネガティブな事ばかり書いていたら自家中毒になってしまいます。

 

 それが良い悪いの判断は自分で決めることですけど。

 

 というわけで、強靭な心が欲しい月です。

私の心は簡単に折れます。ポッキリどころの騒ぎじゃありません、粉々です。

粉末洗剤として使ったら綺麗になりますかね?どうでしょう。

 

 いつだってギリギリの所で踏ん張っています。生まれたてのアフリカゾウ並です。……強そうですね。

 

 よく、全てを投げ出したら生まれ変われるのかな、なんて考えます。けれど結局は変わらないんです。

同じ素材で同じ調理をしたら、同じ料理が出来上がるんです。

 

 

 だから、手の届かないものだったとしても、キラキラしたものや、なりたいものに目を向けることって大切なんじゃないかなぁって、思ったりしました。

それが例えショーウインドウの中にある、決して手の届かないものだったとしても。

 

あ、だめだこの例え。泣きそう。

一瞬でも良かったと思える時があったなら

 

 この一瞬のために生まれてきたのだと思えるような瞬間があったのなら。人生なんてそれでいいのだと思う。

たとえその他の人生が、ひたすら辛いものだったとしても。

 

 

 『生きる意味』なんてこじつけだよ。本人がそれで納得したら済んでしまう程度の。

だから、そんな仰々しく考えなくてもいいんだよ。見つからなくて焦る必要なんてない。

 

 ほんの一瞬。このために生まれてきたのだと思えるような瞬間があったなら。

生まれてきた意味はあったんだよ。

探さなければ、見つからない

 

 はてなを彷徨うことで、グループなるものを発見しました。

同じ方向性の人たちが集うグループ。

こんな機能があるなら始めから言ってよ!なんではてなブログのトップページから簡単に辿りつけないんでしょうね。

 

私の探し方が悪かっただけじゃないよね……?

 

 それはともかく言えることは、探さなければ、見つからない。ということ。

 

 それがたとえ見つけにくい場所にあっても、分かりやすい場所にあっても。

探さなければ見つからない。いえ、見えない、と言った方が正しいのでしょうか。どちらでもいいですけど。

 

 

 周波数、方向性、シンクロ、クオリア

なんだっていいです。言葉は手段のひとつに過ぎません。

ともかくそれら要素と偶然的な要素が重なる時に探していないと見つからない。

そんなもののように感じます。

 

『当たり前すぎて気づかなかった』

 

なんていうのも同じような感じです。

 

 

 もっというと言葉、音楽、絵画、もろもろ『自己表現』の手段はいろいろありますが、突き詰めると手段はどれでも良くて

結局のところたどり着くのは全て同じ、作り手であって

 

さらにいうと、探さなければ見つからないのは自分自身の場合だってあるわけで。

泣いている君を抱きしめる勇気のなかった僕は

 

 と、いうことで過去は忘れましょう。

人は都合よくできています。忘れるということが可能なのだから。

 

 

 さて、ブログを始めたわけですけれど、そもそもemptytearと適当に決めたこの言葉、文法?的に合っているんですかね。

こんな時に私の残念な頭脳が悔やまれますけど、過去を悔やむなんて不毛です。

 

 現実が正解だ

 

 そういう言葉を頂いたことがあります。私を取り巻く現実が、私の生きて来た結果発表であると。

どんなに必死に否定しても、それは現実を直視できない弱い心が見せる幻想で、現実が正解なんだと。

 

 あ、心が折れそうです、忘れましょう。

 

 

 そんなわけで今日は車を運転していました。

夜に遠出をしていて、家に帰る時に高速道路を使っても下道を走っても時間的に変わらないと思ったので、延々下道ドライブしてきました。

 

 やはり夜の街は静かで寂しくて綺麗で。

ブログに何を書こうかな、なんて考えながら運転していました。

 ずっと流れる景色を眺めていたら、なぜか少し涙が出てきました。

いきなり『からっぽ涙』なブログに反する、あるまじき事態でした。エアコンの風を顔面で受けていたからなんですけど。

 

 せめてこれが鼻水であったなら笑い話として救いがあったのに。

それでもやはり陽は昇る

 

 ずっと夜の街があったら綺麗なんですかね。

そんなことを考えてしまいます。

 

 

 重い考え事は昼間にした方がいいらしいです。気分が参ってしまいますから。

でもね、夜だって悪いことばかりじゃないと思うんです。

 

 何より落ち着きますし、それに、落ち着きますし、えーと……落ち着きます……よね?

 

 ファンタジーのような、ずっと夜で、ずっと灯りのある街。

 あったら住みたいですね。星空の中に月が浮いてたら素敵です。

 

 

 昼間は元気で、明るくて、暖かいイメージがあります。実際そうですけど。

でも時にそれは、私には眩しすぎるんです。

 

 あ、だから私のハンドルネームが月なんですかね?

いいえ、関係ありません。

にっき

って何でしょうね。

 

 

 いろいろなブログサービスなんかを見てまわって感じることは、近ごろのブログは洗練されているということ。

ライフハックに代表される、アフィリエイトで稼げるよう有用な情報が置いてあったりだとかさ。

 

 なんか、違う…

 

 とっても違う気がする…

 

 けれど、やはり正しいんでしょうね。

自然淘汰じゃないですけれど。

 

 ねぇ、日記、みんな書こうよ。

正しくなくたっていいよ。時代に合わなくてもいいよ。

 

 私はあなたの声が聞きたいんだ。

そんなこと、思ったんだ。