泣いている君を抱きしめる勇気のなかった僕は
と、いうことで過去は忘れましょう。
人は都合よくできています。忘れるということが可能なのだから。
さて、ブログを始めたわけですけれど、そもそもemptytearと適当に決めたこの言葉、文法?的に合っているんですかね。
こんな時に私の残念な頭脳が悔やまれますけど、過去を悔やむなんて不毛です。
現実が正解だ
そういう言葉を頂いたことがあります。私を取り巻く現実が、私の生きて来た結果発表であると。
どんなに必死に否定しても、それは現実を直視できない弱い心が見せる幻想で、現実が正解なんだと。
あ、心が折れそうです、忘れましょう。
そんなわけで今日は車を運転していました。
夜に遠出をしていて、家に帰る時に高速道路を使っても下道を走っても時間的に変わらないと思ったので、延々下道ドライブしてきました。
やはり夜の街は静かで寂しくて綺麗で。
ブログに何を書こうかな、なんて考えながら運転していました。
ずっと流れる景色を眺めていたら、なぜか少し涙が出てきました。
いきなり『からっぽ涙』なブログに反する、あるまじき事態でした。エアコンの風を顔面で受けていたからなんですけど。
せめてこれが鼻水であったなら笑い話として救いがあったのに。