心的距離が近くなる

 

 といっても、誰かの心との距離ではありません。そんな桃色な話ではありません。

悪しからずご了承のほどよろしくお願いいたします。

 

 以前書いたように、私は本来は出不精です。

出来ることなら光合成して生きていきたい人です。

 

そんな私ですが悲しいかな現実は移動してばかりで、ちょっとやそっとの距離では苦にならなくなってきました。

家から出るのは気合いが必要ですけど、いつも移動していると、少し遠い程度では怯みません。

 

 こうして考えると、本来は遠いはずの距離なのに近く感じるようになるものなんですね。

慣れってやつです。

 

 

 慣れって不思議ですね。繰り返していけば耐性がつくみたいなものでしょうかね?それとも成長?

心に与える影響が減って何も感じないだけなのかもしれませんけど。

 

 

 人と人も接触回数を増やしていくと、自然と親密になっていくらしいです。

それは慣れなのか、影響が減って自然体になってきたのか、それとも何なのか。

 

 無理やり桃色な話に持っていこうとしましたけど、私には出来そうにありません。

素早く諦めて寝ましょう。

正座しながら泣きたい

 

 どうもー!!お元気でしょうか?

カラ元気な月です、こんばんは!

 

 カラ元気って素敵ですよね。完全に無理しているだけですからね!

泣きそうです。もう泣きそうです。

あなたは正座しながら泣けますか?私は今ならいける気がします!

 

 ちなみに、泣きたいわけじゃないのに気づいた時には泣いている、そんな時があったらかなりヤバイのでガチで逃避をオススメします!

 

 こんな事を嬉々として書いていたらダメですよね。

夢や希望はありますか?

こんな時は夜空を見上げてみましょう。

 

ほら、曇り空しか見えません。くそぅ。

 

 

 

 

 

 

 

 

人は人を必要とするし、必要とされたいと願う。

そうしてみんな生きているのに。

 

いつしか今を必死にやり過ごす事を考えるようになって、みんな余裕がなくなって。

 

 

余裕だとか、無駄だとか。

きっと豊かさっていうのは、そういう所にあるんだと思うけどね。

本当の貧しさって、余裕も無駄もない世界なんだろうなって。

白くて速くて大っきいやつ

 

 新幹線に乗って出発までポーッとしていたら隣の席に綺麗な女の人が来ました。

 

わぁ、友達になりたい!

 

なにも話さないで新幹線を降りました。

話すこと、ないよね!

 

 

 そんなこんなでこんばんは。

今日は少々遠出してました。電車って素敵ですよね。座ってたら目的地に着くんですから。

普段は新幹線に乗らない私は切符の買い方もよくわかっていないので、迷わず窓口に向かうダメっぷり。

いいんです、みんなこうして大人になるんですよ、きっと。

 

 こうして書くと私はあたかもアクティブなように見えますが、まるで違います。

本当は何もしたくない出不精です。来世こそ雑草に生まれ変わってやるんだ。

遠出とか苦手です。非日常とか求めてません。

退屈な日々を過ごして退屈な人生を終えたい。

 

それなのに現実は全く違うことになっています。

なんででしょね……

 

 子供の頃とかは花火職人になりたかったです。黙々と働いて、夏に自分の花火を打ち上げてそれを見上げているような。

みんなの笑顔を作るのが仕事なんだぜ……とか言いながらね。私には壊滅的に似合わない気がしますけど。

自分で何かを成し遂げなくたって、以前から続くなにかを後世に繋げるだけでもそれには意味、意義があると思います。

 

 けれど、そんな予想に反して今があって、全く違うことになっています。巨大ななにかの陰謀でしょうか。時代の流れでしょうか。

 

おっかしぃなぁ……

 

でも新幹線で綺麗な女の人と一緒だったからいいや。

芸能人かな?モデルさんかな?わーって思いました。

いつもの夜のはじまり

 

 家に帰るとどかっと転がってもう動けない。

今週は疲れ方がひどくて、日記を更新出来ませんでした。

 

書く気はあったのですが電気つけたまま落ちる毎日。

疲労困憊するまでよく頑張っていると自分でも思います。が……が……

結果が出せなかったら何もやってないのと同じなんですよ!!!

 

よ!!!!

 

 

あ、はい、すいません。がんばります。

 

 『頑張る』という言葉はずるい言葉です。

結果を約束するものではありませんし、本人が頑張ったと言い張れば、それは頑張ったことになります。真偽はともかく。

 

 なので、私はこう言います。

 

 

頑張ります!!!!

 

 

 ふふふ。だめじゃん。

でもね、思うんです。

 

 誰だって得手、不得手があって、その延長線上に出来ること出来ないことがあるんです。

あの人には出来るけど私には出来ないこと。その逆だってあります。

 

 結果がどうなるかは知りませんけど、私には私の出来ることをやっていくしかないんじゃないのかな。

 

Still i live

 

 思い起こせば2016年に入ってからは怒涛の勢いで身の周りが変化したように感じます。

詳しくはわざわざ言いませんけど手当たり次第に状況が変化しました。

 

 必死で生きてます。もうね、必死です。

むしろ必死という漢字は必ず死ぬって書きますね。死んでますけどどうなんですか。

 

 そんな中、考えるのは意味。

いまこんな思いで生きているわけですが、私は何をここから学ぶべきなんだろう。

何の意味があるのかな。意味なんか無さそうですけど。

ですけど、何か学ばなくちゃ悔しいです。辛いだけじゃダメだと思います。

成長しなくちゃダメです。

 

何が成長と呼べるのかは知りませんけど、将来的に自分の糧になったと言えたならいいかなって思うわけです。

 

 人は簡単には変わらない。だからこそ毎日少しずつでも進めたらなって。

イメージは地を這って必死に進む感じ。ホラーですね。

学校で教えるべき事はなんだ

 

 すごくどうでもいい事ですけど教育について考えてみました。独身の月です。

 

 小学、中学、高校、大学。

なにを私は学んできたんだろう。歴史、文化、語学、知識。

いろいろありますけれど『生き抜く知恵』は教わってないなぁ、と感じました。

 

 基礎知識としての勉強も当然大切ですけれど、もっと実践的で生き抜く知恵については学ばない。失敗しながら学んでいかなくちゃいけない。

例えばお金、住宅、職業、法律。

知らなければ損をするようなこと。

 

 現代社会で生きていくうえで知っておくべき内容だと思います。

多くの人は自身で、あるいは家族と一緒に経験しながら学んでいきます。

でもそれじゃあ遅いんじゃないのかな、と思うことがあったり。

 

 このブログは知恵とかそういう事を書くブログじゃないので期待しても無駄ですが、学校で教えてもいいんじゃないのかな。

もちろん、今の学校を批判したいわけじゃないです。限られた時間の中で、先生がたも頑張っているのだと思います。

 

 

 専門的な内容の各種セミナーなんかも開催されていますが、自身で参加される方は既にそこにアンテナを伸ばしていた人であって、全くの無知ではないでしょう。

 

多彩なことを多くの人が学べる場所はあるのでしょうかね。

そういった塾なんかが世の中にあるといいのかもしれません。商売になるか知りませんけど。

 

 もし商売がからむと、大人や企業の利権が絡む場所に自然となるでしょうし難しいですよね。

やはり、現代社会とはある意味切り離された学校で教えるのがいいんじゃないのかなぁ。

 

 なんて、エアコンの効いた部屋で無責任に考えていた。

持つべきものは友なのか?

 

 ねむい……

 

 昨日は友人と語っていたら帰宅が遅くなった月です。

もう夜更かしとか無理です。ねむいです。

夜更かししなくてもねむいです。

眠気は常備です。

 

 で。

友人いはく、私は胡散臭いらしいです。

ちゃんと本音で生きるにはどうしたら?と相談していたところ、なんか根本的に胡散臭いらしいです。

 

むむぅ…

 

DA・ME・JYAN!

 

真逆ですよ、真逆。

まさかのマイナススタートです。

 

ねぇ…この炎天下の中、体操座りしてたら溶けて消滅すること、できるかな?

 

 どうなっているんでしょう。

ついでに、私はどんな仕事が似合ってるかな?と聞いてみました。

 

友人いはく、胡散臭い夜の街とか夜の店にいそうとのことです。

(夜の仕事してる人が胡散臭いという意味じゃないですよ)

 

あの、ハイ。

なんかもうすいません。

こんな私が素直とか言って本当に申し訳ありません。としか言えない。

拗ねて赤ぶどうジュース(ノンアルコール)をガブ飲みですよ。すっぱい。

 

 でもね、思ったこと素直に言い合える友人っていいですよね。

そうした人が周りにいてくれることは幸せなんだと思いました。

 

友人が素直すぎて私はダメージを負いましたけど。